UEFA CHAMPIONS LEAGUE の決勝に組織運用のネクストレベルを見た(気がした)

2010−2011のチャンピオンズリーグ決勝は、残酷なほどの内容の差を見せつけて、FCバルセロナが勝った。
会心の勝利を喜ぶグアルディオラ監督
バルサの相手は、”あの”マンチェスター・ユナイテッドだ。


今期はリーグ優勝もし、CL準決勝では、前回優勝のインテルを準々決勝でボコって勝ち上がってきたシャルケをまったく寄せ付けなかった。サー・アレックス・ファーガゾンによって約20年の間熟成され、下の本によれば、むしろ10年前にはバルサがお手本にしていた世界最高のフットボールクラブである。

ゴールは偶然の産物ではない~FCバルセロナ流世界最強マネジメント~

ゴールは偶然の産物ではない~FCバルセロナ流世界最強マネジメント~


にも関わらず、その差は圧倒的だった。
にわかには自分の見たものが信じられない。


前線、中盤、サイド、最終ラインに世界最高の選手をおき、各人がサボらずしっかりと複数人でプレスをかけに行き、素早い攻守の切り替えとテクニックで効果的にバイタルエリアにボールを運び、ディフェンスの陣形が整い切る前に技術と強さを兼ね備えた世界最高のフットボーラー”ウェイン・ルーニー”に渡す。


これは勝利のセオリーだ。これぞフットボール。これぞサッカー。ルーニークリスティアーノ・ロナウドに変わろうが、イブラヒモビッチに変わろうが、サッカーの構造は大きくは変わらない。マンチェスター・ユナイテッドは、現代サッカーの王道を超高レベルに体現したチームだった。


しかしそのユナイテッドが手も足も出なかった。


世界最高のフットボールが為す術もなく負けた。


バルサがサッカーの競技場で繰り広げているあれは、本当にサッカーなのか。フットボールなのか。まるでルールや競技そのものが違うようではないか。そう思いたくなるぐらい、ウェンブリーでの決勝の内容は衝撃的だった。


もしかしたら本当に違うのかもしれない。考え方の根本が違うのかもしれない。同じルールの上で戦ってはいるが、彼らの目的や優先順位が、ほかのチームとは違うのかもしれない。その違いは一体なんなのか。


強く感じたのは、バルサにはFWやMFやDFという概念が見受けられないということだ。フィールド上でカバーする領域はある程度分担されているものの、FWだから攻める、DFだから守る、サイドだから突破する、という「作業の分担」が明確にない。


プレスをかける。ボールを奪う。パスをして相手をずらす。角度を変えてパスをもらって止める。また体の角度を変える。またパスをして相手をずらす。縦にボールを進められる穴が空いたらボールを前に運ぶ。ドリブルかパスかを判断して、シュートかラストパスを打てる位置に侵入する。シュートコースをこじあける。その時ボールを持っている人がシュートをする。


バルサの選手は全員それをやっている。それぞれの位置でもっともふさわしい選択をしながらやっている。DFでも前目でボールを受ければその位置なりの働きをする。CMFでも、ディフェンスラインでボールを受ければ、それなりの動きをし、前に侵入すればシュートを打つ。FWとかDFとかの役名で仕事をしていない。チームのコンセプトが真ん中にあり、そのコンセプトを実現できるスキルを全員が身につけ、自分がいるフィールドの位置・その瞬間求められている要求によって、チームのコンセプトに沿った働きを行っている。


だから誰かを起点にする、どこかでポイントをつくる、ということが起きていない。センターがない。実際にピッチの中央にいなくても、その選手が持つとポイントになる選手という選手が普通のチームにはいる。主にテクニックとボディバランスに優れ、ボールがおさまる選手だ。彼が持つと周囲の攻撃のギアがはいる。しかしバルサの場合は全員が起点になりうる。というか起点という概念がない。ギアが入るという明確な瞬間がない。


バルサの誰かがボールを持つと、ピッチ上に張り巡らされたネットワークの中を、ボールがランダムに行き来しているように見える。そこには「相手に当たらないようにできるだけ前へ」というアルゴリズムだけが働いており、「誰が誰に」と恣意的に動かされることがない。もちろんピッチ中央は一番ボールが通りやすいのでシャビがボールに触る回数は多い。だがシャビが持つから攻撃ができるというのとは違う。シャビはチームで一番ボールを運び動かすことに優れているが、そのシャビもあくまでバルサのサッカーのひとつの駒に過ぎない。ネットワーク内のフロー(ボールの動き)を維持させるためのノード(節点)であって、バルサの中心ではない。フィニッシャーのメッシも同様だ。たしかに特別な選手だが、それはバルサのネットワークの先端にいてこそ発揮される。バルサのサッカーの本質はネットワークの維持だ。ネットワークの形成と維持が彼らに課せられた90分間でもっとも重要な仕事であり、ネットワークを形成するために必要なスキル各種を研鑽するために練習をしているはずだ。


機能別のスペシャリストを配し、スペシャリスト同士の流れ作業や協力によって目的を達成するのが一般的に効率的とされる組織運用だ。サッカーも例外じゃないし、多くの会社やプロジェクトもそうやって動かされている。しかしそれをつきつめた最高レベルのサッカーチームが、まったく違うコンセプトのチームに手も足も出ずに負けた。これはショッキングで、かつ示唆の多い出来事だ。


これがもしコンセプト同士の戦いなのであれば、多くのスポーツクラブ、企業、プロジェクトなどが、今のやり方を考え直さなければならない。しかし、そんなコンセプトを実現できる方が奇跡的で、汎用的ではないのであれば、チャレンジすることが無謀ということで終わるかもしれない。理想的ではあるけれど、できないことを追っても仕方がない。そうなれば、コンセプト間の戦いにはならない。今のバルサが、できないはずのことを実現することができた奇跡のチームだったというだけだ。


だから僕は本当は、もう1年バルサに残ると宣言したグアルディオラに、バルサを辞めて欲しかった。ほかのチームで、一からそのコンセプトを実現することができるのか、その実験を見てみたいと思った。もしそれが実現できるのであれば、世界の組織運用の常識が変わるかもしれないのだから。


しかしグアルディオラは残るらしい。こうなれば、来期はモウリーニョひきいるレアル・マドリードに期待したい。各リーグから世界最高の選手を集め、徹底した管理で各々の仕事をさせる。これまでのやり方の究極的な洗練である。それで今のピークバルサにも勝つことができるのか。今期はまだまだだったが、来期はチームの核もできあがり、今年よりは絶対に強いはず。
来期のこの2チームの戦いには目が離せない。